2009年12月1日

いよいよ今年もこの1ヶ月で終わってしまう。

なんとか将来への目処が見えてきたここ最近、今年中に終わらせておくことが
あといくつか!!

これらをなんとか今月中にクリアし来年がいよいよ本番の
新しいトライアルに向けて準備を整えよう。


【今週のひとりごと】再録

タマ蹴りドットコム メールニュース2009年2月20日号より


▲▽歴史シリーズ その3▽▲

1997年の話からさらにワープして1993年まで遡り
「タマ蹴り」誕生のキッカケについて前号でお話ししました。

話を1997年以降に戻しましょう。

96年に「アービル横浜」のコートがオープンしその翌年の
97年には私たちが次ぎにイベントを開催した「大江戸ふっとさる倶楽部」が
東京小岩にオープンしました。


こちらは企業ではなくその土地のオーナーさんがそれまでのゴルフ練習場(打ちっ放し)から業態を変更してフットサル場をはじめるというものでした。


サッカーの経験もフットサルが何かもご存じなく、はてコートをオープンさせるはいいけどどうやって人を集めましょう??


そんなところから、こちらの施設の人工芝を担当したメーカーさんからのご紹介で
私たちが出動することとなりました。


当時世田谷にあった私たちの事務所からはちょうど東京の反対側。
そもそも川一つ隔てた川崎育ちの私としてはほとんど地理的にはチンプンの場所。
まぁ、あちらも川一つで向こう岸はすぐに千葉県ということで似たような状況でありますが。


しかしその周辺環境、人々の気質は大きく異なります。


そんな中まずは週末の1Day企画から提案し毎月イベントを開催することからはじめました。
都内特に23区内にはまだまだ施設がありませんでしたから、告知が行き届いていくとともに参加チームは順調に集まるようになっていきました。


場所的には小岩駅からも新小岩駅からも歩いて15〜20分はかかり、車で行くにも駐車場は非常に台数が限られており、なかなか今では考えられないほど条件は良くありませんでした。


クラブハウスのシャワーも男女別にはありませんでしたし、開業当初はトイレも工事現場の仮設トイレ。


その後、どんどんお客様が増えて行くにつれトイレは外に個別が設置され、シャワールームや倉庫も増設されていきました。さらに駐車場も隣接の空き地を借りて拡大されるなどして小さいながらも過不足無いコートになっていきました。


オーナーも最初はいつもひとりで店番をしていましたが、外部業者とうまく話をつけ彼らに任せてカウンターに立つこともなくなっていきました。


のちに施設名称も「フットサル・オーエド」→「フットサル・KOIWA」と変わっていきました。
我々は、1Day以外にもリーグ戦、現在の1×4に繋がるようなお手軽企画。
最大時は2日間で48チームを集めるような学生大会。
そして今も残る「ジュエンカップ」は実はこの会場から始まりました。


その後私たちの企画は2004年までこの会場で行われました。
企画終了後は、訪れる機会もなく疎遠になっておりましたが、昨年夏すぎにHPを
久しぶりに覗いたら2008年10月で施設を閉じるとのアナウンスがありました。


11年とちょっとでその歴史に幕を下ろしました。
どういった理由で閉じることとなったのかはわかりませんが、地域に根ざして
それなりにみなさんにタマ蹴りの場を提供していただけに残念です。


私たちの東京城東地区での企画はその後オープンしたミズノフットサルプラザ千住、千住大橋に引き継がれています。


このあと97年後半からは施設がどんどん増えてラッシュが始まります!!
そのあたりはまた次号以下でお話しします。

【追記】
先日この近くまで行く機会があったので久しぶりにこの「フットサル・オーエド」を訪れてみました。
きっと跡地はマンションか何かになっているのだろうと思って…

そして到着してみると、そこには開業していた頃のままの施設が誰にも使用されずに寂しくそのまま残っていました。

外のフェンスには「貸し地」の看板が掛かっていましたが…
結局閉鎖から一年以上経つ今でも打ち寂れた状態で放置されていました。

なんともったいないことか??

オーナーさんにもいろいろ事情があって閉鎖に至ったのでしょうが
何か方法はなかったのでしょうか??

自分たちが開業以来みてきた施設がこのようなことになるのはなかなか
辛いものです。